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04/19/2009

手で考える

頭で考えているだけでは何も形にならない。なのでとにかくスケッチをする。
これは、初期の段階で、もとからある条件とは別の方向の、漠然としたところに存在するものをを引っ張りだす時にとても大切な行為となる。
soundtrip#4の形も、そうやっているうちに生まれたもの。
スケッチをしていると時々感じるのは、もう一人の自分と対話をしているような感覚になるときがあるということ。(いつもそうなる訳ではないのですが。)そういうときのスケッチというのはたいてい、頭で考えていることを記述するのとは明らかに違い、いわば手が勝手に動いている状態にちかいもので、時には自分でも思い及ばないような線が描かれ、ある形が出て来たりする。そして、こんなのはどうだ?と手が出した動きに対して問われている自分がいる(気がする)。「なるほど、こういうのもありだね。」と思ってみたり、「イヤー、それはないな。。」となったり。
他の人はどうなんだろう。これは変な考えなんだろうか?
しかしこれが例えば、コンピューターとだとそうはいかず、どこかに断絶があるのだ。ディスプレイとキーボード、マウス(これが一番まだ近い方だけど)を通してのやり取りにはそこまでの感覚は持てない。たぶん、フィードバックする感覚の情報が足りないのだと思う。(そもそも道具としては別の使い方をするべきものかもしれない)
例えば、鉛筆で紙にものを描くときの、その芯の硬さや、紙の質感による摩擦の違いやそのときの音、紙の厚さによる沈み具合など。。そういった感覚が、自然と密度の濃い情報として身体と、対象(この場合は書かれるスケッチや、紙など)そして、脳の間を行き来する。
これが、頭で考えるのとは別の思考を同時に行っているような感じで、あたかも対話のような感覚を生み出すのではないだろうか。

コンピューターは、どれだけインターフェイスが発達したら、その断絶はなくなるのだろうか。いや、なくならない気がする。いや、どうなんだろう?