Why EBISU ?
ここ最近、恵比寿のことについてあれこれ考えている。
というか考えざるを得ない出来事に関わっている。
(理由は別のときに書く事にします)
恵比寿に拠点をもって、素敵な活動したり仕事したりしている人は、結構居る(みたい)ですね。
(みたい)と書いたのは、店舗やギャラリーとかならまだ発見しやすく、分かりやすいが
仕事場があるというのはなかなか気付かないから。
拠点が渋谷とか青山とか六本木とかにあるという事務所などは
人がそれを言いやすいのか、あるいは言いたくなるのかは分からないけど、
会話等にも出て来たりすることになって、なんとなく覚えていたり、印象に残っていたりする。
ところが、恵比寿という場所は、何故かそういう気配が綺麗に埋もれているという気がするのだ。
(これはかなり個人的な見解だとは思いますが)他の場所にあるような、よそ行きの感じがしない。
そして、いかにもそこだから構えているという風なものも見えづらい。
逆に言えば、居心地は良い。
しかしながら、恵比寿に拠点を置いている人には、目的や理由があるからここに居るという、
明確なものはあるのだろうか?
(なきゃいけないと言いたい訳では無いですし、当然何らかの理由はあるとは思いますが。。)
そう言う自分も、恵比寿とはどういう街で、何故そこにいるのかと聞れたら
客観的にスッと答えられる自身はない。
そこで、自分なりにも分析しつつ、自問自答では限界があると考え
恵比寿にいて、興味深い活動や面白い事等をやっている色んなひとに
「なんで恵比寿なんですか?」
とインタビューしてみたくなった。
題して「Why EBISU ?」
そのままですが。
これをフィールドワーク的に行っていくという事を
近々始めてみたいと思っています。
2010年の一歩
一年の計は云々、という言葉があります。
新しい年が来るといつもいろいろとやりたい事など思い浮かんで来るのですが、
なかなか年初に思った事の勢いが後半までつづいていかないのが現実。
そこで今年の目標、という言葉よりは、モットーにしたいこと、とでも言ったらいいのか、を
昨年末からずっと考えていていました。
今、自分の中に思い浮かんでいることは、
「一つ一つの事をきちんと醸成させていく」という事。
沢山の事をする為には、その一歩一歩を確実に次のステップへと繋げていく。
これが自分には一番出来ていないことではないかと。
大きな事を掲げるのとは全く角度の違うことで、
言ってみれば、日々変わらず、同じことを続ける、みたいなこと。
いろいろな物事に惑わされずに確実に日に一歩だけ踏み出し、それを繰り返す。
呼吸をする、ぐらいの感覚で。
そういうことが一番難しいのかもしれませんが。。
みなさま、今年もよろしくお願いします。
40
ついに40歳、新しい世界に突入しました。(というと大げさですが)
なる前は、意味も無く焦り、受け入れ難く感じていたのですが、
いざそうなると、とても自然で気持ちよい感じがしています。
歳相応かどうかと言う問題は別として。
歳の10の桁が変わると、何か気持ち的に変わるのだろうか?
などと20歳,30歳になるときに漠然と思ったりしてましたが、
変わるとすれば自ら変わろうと意思を持つ他に、変わりようは無いのだと思います。
といいながら、背中はしっかり押してもらいましたけど。
というわけで、迷わず恐れずストレートに、自分の表現をしていく「年代」にしようと思います。
gift_labのファミリーからお祝いをして戴きました。
うれしいものです。
ありがとう。
場をつくる
下のつづき。(一ヶ月あきましたが。。)
利便性や合理性などが、個人的な都合が超主観的に働き、結果そこから意図せず、突拍子もないものが生まれる事の面白さというのがある。あるものを、使っている環境や都合に合わせて無理矢理勝手にカスタマイズしてしまったり。それどころか、本来の使用目的とは全く無関係な使い方を考えだしたり。
例えば、エアコンの室外機の上が盆栽の棚に変化してしまうような。
一般的に言うデザインという見方をすれば、目をつむりたくなるような、そういうアンバランスなものも含め、そこにある独特の面白み、結果としてうまれる深みというものを大切にしたい。
または、何故そういう不思議なものが(ことが)そこに出来たのかという状況というものを自分なりに受けとめ、考えることを大切にしたい。
それが「場をつくる」という考え方につながるヒントを持っていると思うから。
意図できないものをも受入れることで「場」はつくられていく。
そういう余地をいつも持っていたい。
mamoruさんと会ったことから
半年間のヨーロッパ滞在を終えて、サウンドアーティストのmamoruさんが
gift_labに立ち寄ってくれた。
オーストリアでのワークショップ、パフォーマンスの様子などを、写真とともに伝えてくれた。
彼の活動は、僕がまさに今興味を持っている感覚のにちかい事を彼なりに体現していて、深く共感しつつもちょっと悔しい感じがした。
今月、gift_labで活動報告を兼ねたライブをやろうという話になった。(7/19日です。とりいそぎ詳細はmamoruさんのページのリンクを貼っておきます。)
何の分野において、という話はともかく、今とても重要で興味深いと考えていることは、周囲の環境や身近にあるものなどに対する自分の感じ方や意識を少し変えるだけで、今ここにある世界が新しい見え方をする、というようなこと。
sound tripも、そんな考え方の延長上にある。
それは発想の転換とか、既成概念への意識を変えるというようなちょっと大げさなタイプの事ではなく、もっと身体的、感覚的かつ個人的なことから端を発して、それがいつのまにか全体性へとつながっていってしまうようなこと。オノ・ヨーコさんの作り出す作品への考え方のような。そんな観点を持ちつつ、ものを考えていきたいと思う。
そういうふうに考えたとき、「デザイン」という、かろうじて自分がベースとしている活動の近くにある言葉がもついろいろな面がよく見えて来る気がした。
幻想として利用するのではなく、現実的に対処するだけでもなく、もっとあたりまえ(?)なのに素敵なものとして。
既知/未知
知っている歌を頭の中で歌う
知らない歌を想像する
いつも見慣れた景色を憶う
初めての場所で初めての光景に出会った時の事を憶う
まだ見ぬ、ある世界を想像する
知っている事、知らない事。
見た事のあるもの、見た事のないもの。
現実にあるもの、現実には存在しないもの
既知の記憶を回想することと、未知のものを想像する事は
個人の頭の中では等価になる可能性を持っている事に気づいた。
どちらも今、目の前に実体がある訳ではないという点において。
いや、そこに実体があったとしても。。?
旅というのは、その「既知と未知」の等価性(と言うのが適切なのかは分からないが)
に近い現象を、比較的分かりやすく経験する事のできる可能性を持っている。
問題は、日常に戻っても、その「旅」を続けられるかどうか。
知っている、と思っていたはずのものを、単に知っているということで片付けなければ、そこに可能性が残っている。
今回、台湾の高雄というところで行われたデザインフェスティバルの中の国際企画展でシンガポールに続いての出展の為に行って来たが、特に台北はパラレルワールドとでも呼んで良いくらいに
自分が普段過ごしている環境とどこか似ているようで、しかし自分の持ち合わせて来た習慣には似ても似つかないところもあり、それらが同居した旅であったのがとても印象に残った。
詳しい展示のレポートはまた近々書きたいと思います。
手で考える
頭で考えているだけでは何も形にならない。なのでとにかくスケッチをする。
これは、初期の段階で、もとからある条件とは別の方向の、漠然としたところに存在するものをを引っ張りだす時にとても大切な行為となる。
soundtrip#4の形も、そうやっているうちに生まれたもの。
スケッチをしていると時々感じるのは、もう一人の自分と対話をしているような感覚になるときがあるということ。(いつもそうなる訳ではないのですが。)そういうときのスケッチというのはたいてい、頭で考えていることを記述するのとは明らかに違い、いわば手が勝手に動いている状態にちかいもので、時には自分でも思い及ばないような線が描かれ、ある形が出て来たりする。そして、こんなのはどうだ?と手が出した動きに対して問われている自分がいる(気がする)。「なるほど、こういうのもありだね。」と思ってみたり、「イヤー、それはないな。。」となったり。
他の人はどうなんだろう。これは変な考えなんだろうか?
しかしこれが例えば、コンピューターとだとそうはいかず、どこかに断絶があるのだ。ディスプレイとキーボード、マウス(これが一番まだ近い方だけど)を通してのやり取りにはそこまでの感覚は持てない。たぶん、フィードバックする感覚の情報が足りないのだと思う。(そもそも道具としては別の使い方をするべきものかもしれない)
例えば、鉛筆で紙にものを描くときの、その芯の硬さや、紙の質感による摩擦の違いやそのときの音、紙の厚さによる沈み具合など。。そういった感覚が、自然と密度の濃い情報として身体と、対象(この場合は書かれるスケッチや、紙など)そして、脳の間を行き来する。
これが、頭で考えるのとは別の思考を同時に行っているような感じで、あたかも対話のような感覚を生み出すのではないだろうか。
コンピューターは、どれだけインターフェイスが発達したら、その断絶はなくなるのだろうか。いや、なくならない気がする。いや、どうなんだろう?
mentos
通勤中にふいに横を通り過ぎた広告カーになぜか目を奪われる。
グローバル系企業の商品広告で、おそらく海外で制作されたのでしょうが、
一瞬、自分が日本ではないどこか別の国にいるみたい感じられた。
最も身近で簡単な感覚旅行。
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なんとなくアジア圏の、国際色は濃厚で近代的な首都だけにスタンダードでニュートラルな街並みの、路地のどこか、とかにいるような気分に(一瞬ですが勝手に)なりました。
テレビとか全く見ないのでわかりませんが、CMとかやってるんでしょうか。
こういうもののパッケージグラフィックって昔からあまり変わってなくて、独特のノリがありますね。
大阪重力@superdeluxe
前回ここに書いた「書割り」パネルの設営含め、なんとか無事終わりました、というかイベントとしては大活況で終わりました。(すいません、写真は後ほどアップします。)
単に面白いというだけでなくなかなか深みのあるトークで3時間はあっという間でした。それにしても22時ジャストに綺麗に終わったのにはちょっとびっくりした。(始まりは10分押しくらいでスタートし、自己紹介だけで約1時間半しゃべり通していたのに!)
周到な段取りがあった訳でもなく、いまここに集っている、という以外にはほぼ何もない所から絶妙に間をとりつつ花開いていく言葉のやりとりの中から、ちゃんと大切な部分を見つけて掘り出し、あるいは作り出してしまう。そんな文字通りの「トークセッション」で、とてもグルーブ感があり軽快でした。
大阪の魅力、というより大阪の人の魅力が存分に伝わりました。(もちろんゲストの方々がすでに魅力的であるということは当然ですが。)
そして若干パワーに圧倒された感じです。打上げも末席に参加させていただいたのですが、関係者ほとんどが大阪の方で(当然ですが)東京で行われたにもかかわらず、とてもアウェーに居るみたいな何とも複雑な気持ちになりました。(31日には、本拠地大阪でまた行われるのですが、そこの会場も作る事になっているので当然立ち会います。そこでは一体どんなことになるのか?)
これは別にネガティブな気持ちになったと言っているのではありません。トークのなかにもあったけれど、グローバリゼーションにおいて大阪人のように積極的で懐が深く、コミュニケーションに長けた資質は確かに必要かもと思ったりしながらも、プロジェクトの主旨の通り大阪の魅力とは何か?ということについて語られる事を聴くにつれ、むしろ逆に、「東京」ということについて、いろいろと考えさせられるところがたくさんあったのです。が、まだうまくまとまりません。
例えば、日本の中心とか、世界の文化拠点ということでなく「一地方都市」(この言葉は誤解を招くかもしれませんが)としての「東京」という考え方の可能性とか。東京生まれ、又は東京育ちという人の「同郷心」というのがあるとしたら、どういうことなんだろうかとか。。
これはいずれまたちゃんと書きたいと思います。
散文 -変わらないということ-
先週の土曜日、今進めているプロジェクトの為に、philの市川さんとmarunouchiHOUSEで打合せ。その後向かう方向がほぼ一緒だったので、電車を乗り継ぎながらお互いの経歴等の話などを。
間接的に名前を聞いていたくらいで、ちゃんと一緒に何か行うのは初めてで、そういうことを話したことがなかったけど、結構ニアミスしていたことが発覚。まあいろいろやってると大抵どこか接点があったりする歳ですが。
彼はアーティストのエージェンシーをずっとやっていて、そうなる前の話などもちょっと語りつつ、「もう8年も同じことをやっているなあ」という反省(?)めいた言葉に思わず、
「個人的な意見だけど、5年、10年と変わらず物事をやり続けている人の方がむしろ今新鮮でおもしろいと思うんですよ。」
というようなことを言った。
なぜそんなことを自分は口にしたのだろう。
確かに最近いくつかの出来事でそういうことを感じてはいた。だから自然に出て来た。
それは今、自分自身が最も見失ってはいけないものに思えたから、というのもあるだろう。
サイクルを早めるばかりの目新しさには軸がない。変わり続ける世の中と常に距離や関係性を計りながらも軸が変わらずにいるということは、実は最も変化に富んでいるということなのだ。
そういう所を経ているものや人を見ると、とても頼もしい。
試行錯誤の結果、自然と思い至ってしまったような言葉や、そういった姿勢からフッと出てくる鋭い視点を持っていることが、リアリティがある故に重みがあり、かつ面白い。
全然具体性に欠ける話ですが。
2月後半
年明け前から、少しだけゆっくり、重ための時間の流れがしばらく続いていたここ最近だったが、
2月の後半に入ったとたん、突然いろいろなことが同時に動き始めた。
風景だと思っていた辺りの大地が、実はすべて生き物達で、早くも冬眠から覚めて動き出した、
というような感じで。
あまりに多くのことが起き、環境が刻一刻と変化していく。現在位置を見失わないようにしないと。
ネガティブにはとらえていませんが。
ダンスとダンス映像
15日(日)に、gift_labでダンス映像祭の第一回目が行われました。
非常に簡単ですが、newsページの方にその様子がのせてあります。
ダンスというものに興味を持ったのは、確か大学に入ってから。
(ここで言う「ダンス」とは、コンテンポラリーダンスを指して書いています。)
大学では主としてインテリアデザインと呼ばれる学科、クラスを専攻していたのですが、
その動機のうちの一つとして、実はもとをただせば舞台美術に受けた衝撃というのがあった。
ではなぜインテリアに?についてを書くと長くなりそうなので省きますが、いずれにせよ
空間、立体が成り立たつための要素に対する広い意味での興味という事が根源にはありました。
そういった興味も手伝って、よく友人と一緒に劇場にダンスを見に行っていました。
映画や音楽のライブ等は経験済みなので感覚が掴めるのだが、ダンスを観賞するというのは一体
どういう事なのだろうか?どういう接し方が出来るのだろう?など、と想いをめぐらせながら見た、
未体験の異空間への高揚感は今でもまだ感じることが出来る。
ダンスとは抽象的で示唆的なことなどを、生身の人間が表現するものであり、身体が日常的な動作を
逸脱し、ときには繰り返していくなかで余計なものが取り払われ、普段見過ごしている様々なことを差出してくれる。(なんとなく茶の湯のようでもある?)
それを様々な舞台上の仕掛けが相乗的に絡みながら、多様な表情、世界観を作り上げる。
(その仕掛け自体を見るのも醍醐味の一つだったりする)
一瞬一瞬がダイレクトなエネルギーに満ちていて、とにかく想像力を刺激する。
コンテンポラリーダンスの映像たちは、そんな舞台のエネルギーとはまた趣向が違う分、
その規範から解き放たれて、様々なイメージを取り込んだり、視点を変えたり、時間の流れを
加工したりと、メディアの特性を存分に活かして自由につくられていたのが興味深かった。
それでもやはり、「語りすぎないが華がある、洗練された感じ」がするあたりが、ダンスならでは
という気がする。
あと4回予定されているので、興味のある方は是非。
次回は3月1日(日)です。
12 to 14
この2,3日のことをまとめて。
12日夜、下山肇さんからDMを戴き、事務所から歩いて3分の所に出来たギャラリースペースでの
展示をのぞきに。
幼なじみとのユニットでの展示。わりとコンパクトなものであったが、本人曰く、
「(空間を使ったインスタレーションなので今ここには展開できないが本当は)実際のものを体感してもらいたいので、あまり説明ばかりに納得してもらうよりは想像してもらうくらいの方がよいので最小限になった」とのこと。
下山さんは、活動のフィールドは多少違えど、意外に(?)考えている興味の感覚が近く共感できる所があり、話が盛り上がった。
そのときの話として印象に残っているのが、ものをつくる事に関しての作品性、作家性についての話をしたこと。要は、作品とは個性や、名前が出る(出てしまう、又は意識的に出していく)存在か、作り手知らず、もしくは極力消していく事によって浮き出てくる存在、どのような在り方が理想的か?というような話だった。(ちなみに彼は後者でありたいと考えていた)
いずれにせよきっと、その辺って表現側と、感受側との関係性や、求められている様々な状況による問題なんじゃないかと思うし、人間が営むことである以上、どちらか一方しか有り得ない(有るべきではない)というものではなく、共に表裏のように一体となって存在しており、不可分なのだろう、などと考える。
13日、知人の計らいで、ある方に紹介していただきプロジェクトのミーティング。
短時間で意気投合。
すぐにではないが、我々の柔軟な動き方うまくとマッチしそうで、良い形に展開しそうな話になるかもしれない。(まだあまり明記する段階ではないので、曖昧な書き方ですいません)
14日、NOW IDeA現場を見に行き、ちょっと手伝ったりした。明日で一旦完成を見る。
(写真を取り損ねました)
江口さんとも話して、いろいろ確認。
この土曜日、ゆっくり過ごすつもりだったが、結局いろいろと動いていた。
明日は、gift_labでのダンス映像上映イベントがあり、にぎやかになりそう。楽しみ。
気づいたら
今日、2月に入ってから初めて、恵比寿の外にでた。
職住接近なので、こういうこともある。
以前、自分の日々の行動の軌跡を、俯瞰して地図(とりあえず関東圏くらい)にラインでプロットしたらほとんど都内で真っ黒になっているのだろうなどと考えたことがあった。
それどころか今週は・のような行動範囲だったということだ。
公共の交通機関が普及するより前はみんなそうだったのかも知れないが。(どうなんだろう)
やはり、適度に「違う風景」を意識に取り込まないと。
で、どこに行ったのかというと、渋谷と表参道。(たいして動いてない!)
表参道は短時間の用事だったので端折るとして、
渋谷へは、昨年リニューアルプランを担当したNANZUKA UNDERGROUNDへ。
竣工時に撮った写真がポートフォリオに使えるものがあまりなかったので、
再度撮影をしにお邪魔した。
その際、渋谷駅東口側の東急文化会館があった線路脇の道を通ったのだが、
あまりに風景が豹変していたのでびっくりした。
見通せる周辺一帯が、建築の仮囲いの要塞のようになっていた。
そうか、確かにそういうことになっていた。と、頭では理解できるのだが、もとのにぎわいが全く想像できないようなパラレルワールドのような光景がどうしても気になって、事務所に戻った後、少し調べてみようと思い「渋谷再開発」などと検索してみた。
http://ja.wikinews.org/wiki/渋谷駅の再開発計画が発表される
http://www.shibukei.com/headline/4686/
他にもいくつかあり、「ヘぇー」という感じでこれで良いんだろうかなどと
思っていたら、分かりやすく違う提案を投げかけている動きがあった。
http://www.shibuyacommon.org/
どちらかと言えば空が広く見える方が良いと思う。
いろんな立場での意向があり、事情が複雑に絡んでいるようで、短時間の情報検索程度では最終的にどれが実現方向なのかは分からないが。
いずれにせよ
気づいたら、普段見慣れていたはずの、そう離れていない日常の風景が突然変わっていく。
速いテンポで、激しく。
あまり変わらぬ、(少し)遠くの風景を見たくなった。
始めます
こんにちは、
gift_の後藤寿和(gt)です。既に2月となってしまいますが、今年からこのブログというものを
一人称で綴る事を自分に課してみようと思い立ちました。
いままで[gift_lab_log]というページでは文章を書いていて、
とにかくgift_に関係ある事を、という風にしていたのですが
結局インフォメーション的な要素が多くなってしまうので
今後それらは[gift_news]としてUPしていくことにします。
ここではそれとは違った視点、つまり一人称で
今動いているプロジェクトの事、音に関する事、日々の事、まわりで起こっている事、
感じた事などを徒然と書いていくものにしようと思っています。
そうしてちょっとでも、時間をちゃんと刻んでいくようにしよう、
自分が何を感じているのかを、そのときの「表現」で記しておこう、と。(今更ですが。)
最初は頭の素振り練習のようなものかもしれません。
気が向いたらおつき合いください。
今後ともよろしくお願いします。

